趣味とはなにか。辞書をひくと「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄」とか出てくる。
仕事とは関係なく個人で楽しめること。空いた時間にすること。これらの定義は、まあ受け入れられるものである。でも、気晴らしであり、暇つぶしである、とも言える。
最近とある本の中で面白い「趣味」の定義に出会った。その定義とは「趣味は、手段が目的にすり替わったもの」ということだった。趣味とは倒錯であるのだ。
たとえば切手収集をしているひと。切手は郵便物を送るために使うものである。物を送るのが目的で、切手(を貼ること)はその手段だ。それを無視して、切手をコレクションすることが目的になっているので、立派な趣味になるのだ。なるほど、「手段の目的化」という定義はなかなかしっくりくる。
さて、そう考えると自分には「趣味」といえるものがあるだろうか。
ちなみに自分を大いに戸惑わせる質問が「趣味は?」だ。
ひとは得てして他人の自分語りに興味がないし嫌いだ。俺も、自分のことばかりつらつらと話すひとが得意ではない。で、自分語りの最たるものが、趣味の話しではないかと思う。
正直、映画が好きでどんなものを観ていようが、音楽が好きでどんなジャンルを聞いていようが、どうでもいいのである。
大抵のひとたちが、他人の自分語りに興味がないにも関わらず、話しのとっかかりとしてなぜか聞いてしまう「趣味は?」という愚問。俺の他にもきっと、「趣味は?」に苦しめられているひとが大勢いるはずだ。みんな頑張ろう。
さて、いま一度。自分には手段と目的を倒錯するほど変態的に打ち込んでいるものがあるだろうか。
読書は好きだ。知的好奇心を満たしてくれるし、黙々と読んでる時間は全てを忘れて集中できるのでストレス発散になる。音楽も大好きだ。Sound Cloudで知らないアーティストがつくったトラックに出会ったとき最高に嬉しい。あとは、インターネットも大好きだ。脈絡なくネットを徘徊するのも好きだし、Twitterで何千人もの無価値な呟きをしらみつぶしに眺めるのも好きだし、Instagramで毎日腐るほどアップロードされる写真を見て人間の業の深さを感じるのも好きだ。
でも件の趣味の定義に当てはめると、どれも月並みだ。手段が目的になるほど倒錯したものはない。それでも別に困らないのだけど。